カエルだって、とぶ



うつくしいひと

 「サントリー美術館」にて、『清方/Kiyokata ノスタルジア―名品でたどる 鏑木清方の美の世界―』を鑑賞してきた。
鏑木清方といえば、挿絵画家としても日本画家としても、つややかな美人画が人気だが、この展覧会ではその制作背景や、時代、清方自身の美意識がわかるような展示内容になっている。彼をよく知らない人でも、泉鏡花や永井荷風の雰囲気が好きなら受け入れられると思う。
 清方という画家はなぜ美人画を描くのか。
彼は多くの芸能、文学に通じており、これらの中から女性へのテーマを導き出していたようだ。その一方で、市井の生活を描写する挿絵画家としての眼力も備えており、物語の中の幽玄な女性と、現在でも通じるような生活のしぐさを見せる暖かい女性が描き分けられている。
 清方の女性は綺麗に完成されている。
ひとつの物語、一場面での人間の感情を、ひとつの生活の中、人間の刹那の思いを託され、整頓され、悲しみや切なさを届けるように慎ましやかにそこにある。

 戦争の中、美人画の制作に圧力がかかった時代、それも今ではノスタルジアなのだろうか。
a0045660_1132724.jpg

[PR]
# by griffonneur | 2009-12-30 01:13 | 平日

放浪美術展

 「たばこと塩の博物館」にて特別展
『浮世絵百華 平木コレクションのすべて』を鑑賞してきた。
これは珍しくも、財団所有の美術品が展示ペースを失ってしまったため、某大学の補助を得て、この博物館に間借りをしている-といった、ちょっとかわいそうなケースだ。
しかし展示品はどれも重要美術品ばかりという。
なぜこうなってしまったのかが悔やまれる。
 初期の浮世絵は、線が硬質で色数も六段階ほどと、華々しさはないものの、大衆文化の濃厚さを漂わせており、テーマ性においては非常に肉筆画に近い風合いを持っている。
解説も簡潔でわかりやすい。
既に後期になってしまっているが、なかなかに印象的な展示だったのでお勧めしたい。
ただし、おじさんが多いのは、なぜだろう。こういうのはおじさんのハートをつかむのか?

常設の展示品の巨大岩塩。直径一メートルくらい。
鉱物マニアとしては抱きつきたかったが、小学生の手前かっこつけて我慢した。すっごい我慢した。
a0045660_0192311.jpg

[PR]
# by griffonneur | 2009-12-28 00:19 | 平日

スライムクリーナー

くじ引きで当たったので使っている。
ムッチャムッチャしている。
とても、たのしい。
生き物のスライムは増殖するのに、こいつは一定量のホコリを吸着すると捨てられてしまう。
かわいそうだけど楽しいんじゃ!
a0045660_1154368.jpg

[PR]
# by griffonneur | 2009-12-26 01:15 | なぞです

祖父と教会

 私の祖父はクリスチャンだった。
小さい頃には、折々に教会へと連れて行ってくれた。
手を引かれて行く教会は、若者の町の中心地という変わった立地で、建物の一角に収まっていた。
まだ小学校にも上がっていなかった私に何を伝えたかったのか、どんな経験をさせたかったのかは解らないが、私はそこで出されるお菓子に興味津々だった。その時は十字架の意味すら解らなかった。
 小さな教会ではいろいろなイベントを企画しているらしく、なぜかクリスマス前に餅つきをやっていた。初めて食べたつきたての餅はとても甘くて柔らかく、箸よりも長く伸びて、ビックリしたのを覚えている。
 その話をすると、たいていの人は「教会でお餅なんてあわないよ」という。
悔しくて祖父にもう一度餅つきに連れて行ってほしかったが、結局その後、その教会に行ったのは祖父とのお別れの時だけだった。
a0045660_0121645.jpg

[PR]
# by griffonneur | 2009-12-24 00:12 | 休日

年賀状を作れ

指令が下った。
毎年この時期に年賀状の絵を書き上げなくてはならない。しかも、いろいろと注文が多い。
1.「文章は二行入るくらいが楽」
2.「目上の人にも出すから、あまり冒険はするな」
3.「でもふつうのはイヤ」
上記の三点が1.構図、2.テーマ、3.色彩に対応する。
いや、今年のぶんの牛は写生も簡単だった。そこらへんにいるから。
だが、来年の虎は動物園まで行かなくてはならない上に、昼間たいてい寝ている。
どうしろというんだ。

去年の牛さん。
画材:ワトソン紙、透明水彩、色鉛筆、アクリルガッシュ。
製作期間一日。サイズ:木製パネルMS。
a0045660_0491710.jpg

[PR]
# by griffonneur | 2009-12-22 00:49 | 休日

昨日のお昼

食生活を見直し、300円の限界へ。
右から、湯葉と水菜入りあんかけオムそば、ナムル、お茶。
友人「ほぼ精進料理」
(´・ω・`)
a0045660_1313627.jpg

[PR]
# by griffonneur | 2009-12-20 01:31 | 平日

ながら、飲む

 私は、立ったまま飲食したり、歩きながら飲食することができない。
特に、机がないところでは飲食することができない。
小さい頃に母がそう躾けたのかもしれないが、食事中に摂取行動とのふたつの動作を平行してできないのだ。
こういう人は多いのだろうか?
それとも少ないのだろうか?
 昨今はコーヒーチェーン店の影響か、多くシアトルカフェスタイルを見る。
つまり、テイクアウトに重点を置いているカフェだ。
そういったカフェやコンビニエンスストアーのある付近ではよく、立ったままや歩いたまま飲食をしている人を見かける。
正直、すごい技術だと思う。
私だったら一歩踏み込んだ瞬間に、コーヒーが鼻の方へ行く。
 そもそもどうやってその動作ができているのか、仕組みが解らない。
踏み込んだ瞬間に、息を吸い、同時に口の中にコーヒーを含み、足裏を離し次の一歩で飲み込み、息継ぎをするのか。
水泳の選手だった私が解らないなんて、どんな高等技術だろう。
では、直立したままではどうか。
試してみたが、飲み込むタイミングが計れない。口の中に一度含んでから、飲み下さなくてはならないようだ。
スタンダードなスタイルとしては、(私個人の提案だが)腰に手を当てたり、腹筋に力を入れないとダメなようだ。足裏の指の付け根の当たりにも力が入る。
つまり、骨盤と足裏が安定していないと私は飲食ができない。なんということだ、これではサバイバルを生き残れないではないか。
 こんな有様なので、夜行列車や新幹線の、かろうじて全面に物置トレーがついている車両は飲食場所としてギリギリセーフなのだ。
本当に、誰か教えてほしいくらいだ。どうやったら歩きながら飲食することができるのだろうか。
そう考えてみると、長距離走の選手の水分補給はもう、神業に等しい。
[PR]
# by griffonneur | 2009-12-18 00:13 | なぞです

月の名の石

勉強が進まないので、(';ω;`)ブワッ。というか、買ったテキストが肌に合わなくて悔しい。
マルチカラームーンストーンのスクウェアカットでネックレスを作った。
所要時間40分、1500円くらい。
ムーンストーンというと白地に青い遊色ですが、それはレインボーと呼ばれていますね。
他にも、ホワイト、オレンジ、グレー、ライトブラウン、ブラックと分けられています。
マルチなのでそれらが全色ぶち込まれておりますが、冬毛の狸みたいな色でお気に入り。
a0045660_2305935.jpg

[PR]
# by griffonneur | 2009-12-16 02:31 | 平日

ゴールドからシルバーへ

 花屋にポインセチアがならんでいた。その奥にはリースもある。
私の実家ではリースを母の趣向で一年かけて集めた素材で作っていたため、稲穂がぶら下がっていたり、謎の葉っぱが刺さっていたりとして、むしろ正月飾りのようだった。
 昔はクリスマスの時期になるとポインセチアのマジェンタ(ピンクに近い赤色)と、もみの木やリースの深緑、そしてベルの金色が目についたのだが、ここ2、3年でその色みが変わったように思える。
LEDが普及したからだろうか?そういえば昔の金色のイルミネーションは白熱球しかなかったはずだ。
カラフルになった光を、深緑は押し殺してしまうのだろうか。
ツリーやリース、ベルにモール、それらが主に白から銀色の色味にに加工されているようになったと思う。
確かに、カラフルなイルミネーションを映えさせるには、それはとても美しい配色の選択だろう。
a0045660_111591.jpg

[PR]
# by griffonneur | 2009-12-14 01:01 | 興味津々

モノクロのカラー

 一日一デッサン。紙の端にその辺の葉っぱを描くだけでもいい。これが絵を描く人間にとっての日課のようなもの。
鉛筆デッサンとは対象の形や陰影、質感だけを追うものではない、それならモノクロ写真を撮ればよい。写真では追いきれないものを描くのがデッサンだ。りんごの背面、イスの底、魚の内臓、人間の心。もちろん写真には写真の表現がある。デッサンは描き手の虹彩に写し込まれた物しか描写できない。ふたつの眼球によるぶれ、ゆがみが生じる。しかし写真にはそのようなゆがみはない。光をそのまま吸収しうつし込み、さらにそれを現像することで表情が出る。
 しかしモノクロ写真にはできないことを、鉛筆デッサンはできる。
それは対象を明度で表すのではなく、モノクロの中に、色相を持ち込むことができ、そしてそれを描き手の心象により可視光線の色幅ぶんだけ動かせるということだ。つまり、一枚の中に時間経過も織り込むことができるのだ。
 ひとつのミカンがあったとしよう。しかし描いて行くうちにそこからは水分と艶が失われ、中の完熟した実も形を崩し、それに伴って外皮も変形してゆく。デッサンを描いている時間内に、その“ミカン”に起こった現象を、点としての時間軸ではなく、モノクロの中に色相を持って“ミカンの終始”として描ききれるのだ。
 そんなわけで、手近にあったシャープペンでマグカップを描いた。ちなみに本当はシャープペンではなく鉛筆を立体的に使うことが基本だ。
あまりにもひどいものが出来上がったので、自戒のためにさらしておく。
ちなみに所要時間15分。
a0045660_1163254.jpg

[PR]
# by griffonneur | 2009-12-12 01:16 | 平日


芸術と整頓と、歪曲を好む絵描きこと座敷童のブログ
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31